上野戦争・1868年7月4日 <歴史・上野>
戊辰戦争の戦闘の1つ。江戸上野において彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦いである。
慶応4年、鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が新政府軍に敗れると、徳川慶喜は大坂城を脱出して江戸の上野寛永寺大滋院にて謹慎し、新政府軍は東征軍を江戸へ向かって進軍させた。
江戸城では主戦派の小栗忠順や榎本武揚らと恭順派とが対立するが、慶応4年3月13日に新政府軍の大総督府参謀である薩摩藩の西郷隆盛と旧幕府陸軍総裁の勝海舟が会談し、徳川慶喜の水戸謹慎と4月11日の江戸城の無血開城を決定して江戸総攻撃は回避された。
抗戦派の幕臣や一橋家家臣の渋沢成一郎、天野八郎らは彰義隊を結成した。
彰義隊は当初本営を本願寺に置いたが、後に上野に移した。
旧幕府の恭順派は彰義隊を公認して江戸市内の警護を命ずるなどして懐柔をはかったが、徳川慶喜が水戸へ向かい渋沢らが隊から離れると彰義隊では天野らの強硬派が台頭し、旧新選組の残党などを加えて徳川家菩提寺である上野の寛永寺に集結して、輪王寺公現入道親王を擁立した。
慶応4年、鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が新政府軍に敗れると、徳川慶喜は大坂城を脱出して江戸の上野寛永寺大滋院にて謹慎し、新政府軍は東征軍を江戸へ向かって進軍させた。
江戸城では主戦派の小栗忠順や榎本武揚らと恭順派とが対立するが、慶応4年3月13日に新政府軍の大総督府参謀である薩摩藩の西郷隆盛と旧幕府陸軍総裁の勝海舟が会談し、徳川慶喜の水戸謹慎と4月11日の江戸城の無血開城を決定して江戸総攻撃は回避された。
抗戦派の幕臣や一橋家家臣の渋沢成一郎、天野八郎らは彰義隊を結成した。
彰義隊は当初本営を本願寺に置いたが、後に上野に移した。
旧幕府の恭順派は彰義隊を公認して江戸市内の警護を命ずるなどして懐柔をはかったが、徳川慶喜が水戸へ向かい渋沢らが隊から離れると彰義隊では天野らの強硬派が台頭し、旧新選組の残党などを加えて徳川家菩提寺である上野の寛永寺に集結して、輪王寺公現入道親王を擁立した。
update:2010年03月06日
